沖縄県で音楽活動をするアコースティク中心の自称「県産品歌手」。元、ハートビーツのギタリスト。
CD、アルバムなどの発売はすべて自主レーベルからのリリースであるが、活動は沖縄県ではメジャー級である。
ヒット曲として「うりひゃあでいじなとん」「一本道」「具志堅用高の唄」などがある。 中でも「一本道」は阪神タイガースの投手福原忍選手が2008年度の入場テーマとして採用している。
また、沖縄県ローカルのCMに多数出演しており、コミカルなCMが多いことから、全国放送での地方コマーシャル紹介番組でもよく取り上げられる。 釣具店のコマーシャルが代表的なもの。2004年から「わした静岡店」のTVCMにも出演、CMソングは親しみやすく静岡県内でも認知度は高い。
第4ブロック(17:00~18:50) 17時ごろ出演
1949年大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動の中心に。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
アルバムに『終わり・始まる』(1969年、URC)、『25年目のおっぱい』(76年、フィリップス)、『また恋をしてしまったぼく』(78年、ベルウッド)など。2004年の春には26年ぶりのアルバム『ぼくが死んでこの世を去る日』をリリースし、最新アルバムは2006年秋の『そしてぼくはひとりになる』(シールズ・レコード)。
著書に音楽の原稿を纏めた『未来への記憶』(話の特集)、70年代のフォーク・リポートわいせつ裁判に関する文章をまとめた『裁判長殿、愛って何』(晶文社)、小説『愛しすぎずにいられない』(マガジンハウス)、『渋谷公園通り』(ケイエスエス出版)、『ロメオ塾』(リトルモア)。
訳書に『U2詩集』や『モリッシー詩集』(ともにシンコー・ミュージック)、ブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、紀行文集『ブコウスキーの酔いどれ紀行』、晩年の日記『死をポケットに入れて』、ハワード・スーンズによる伝記『ブコウスキー伝』(いずれも河出書房新社)、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ミッドナイト・オールデイ』、『パパは家出中』(いずれもアーティスト・ハウス)、『ボブ・ディラン全詩集』(ソフトバンク)、ダグラス・A・マーティン『彼はぼくの恋人だった』(東京創元社)などがある。
1969 |
『中川五郎/六文銭』 URC エイベックス・イオIOCD-40016 |
||
1969 |
『終り はじまる』 URC エイベックス・イオIOCD-40046 |
||
1976 |
『25年目のおっぱい』 フィリップス / 廃盤 |
||
1978 |
『また恋をしてしまったぼく』 ベルウッド / 廃盤 |
||
2004 |
『ぼくが死んでこの世を去る日』 off note on-48 |
||
2004 |
『また恋をしてしまったぼく』 ベルウッド BZCS-9047 / 8月25日再発 1700円 |
||
|
|||
1954年 3月5日 | 東京 大田区に生まれる |
---|---|
1972年 | フォークグループ “ピピ&コット”のメンバーとしてELECレコードよりデビュー。 |
1975年 | うたの市をはじめ、吉田拓郎、泉谷しげる、古井戸、海援隊等のアーティストと共に活動。 “ピピ & コット”解散後、ソロシンガーとなる。 シングル版『歌のある限り/路地裏の陽気な花』を皮切りに『風』、『二人旅』等をリリース。また、佐藤公彦(ケメ)のサポートギタリストもつとめる。 |
1976年 | 単身渡米。 アメリカ各地を放浪。帰国後、音楽活動を一斉中止。 |
1999年 | シンガーソングライターとしてのライヴ活動を23年ぶりに再開。 同時にギタリストとして、水越けいこ、丸山圭子のサポートメンバーとして ステージをつとめる。 現在、ギターとダルシマーをかかえて全国津々浦々、年間100回以上のステージに立っている。 |
そのころ,私は高校三年生。
近所の友達が結成した「ピピ&コット」というフォークバンドの一員として,エレックレコードで活動していた。
今でいうインディーズのはしりともいうべき伝説のエレックで、アーティストとしては吉田拓郎さんの次のデビューだった。
しかし、バンドはヒット曲というものもないままに解散。同時期にエレックレコードも倒産。
二十歳そこそこの世間知らずは、音楽が好き、ギターを弾くのが好きなだけで、これという野心も持たぬままにレコード会社、事務所を移籍。
「二人旅」「風」の二枚のシングルをリリース。
1970年台も後半、アメリカではベトナム戦争も終わるころ、音楽もメッセージ性の強い歌から、多種多様のスタイルの流れがうまれていた。
アメリカに行きたい。音楽も本も映画もファッションも全部アメリカが教えてくれた。
1ドル330円のころのたった一人のアメリカ。
自作の数曲のうたとギターと片言の英語しか持たぬ女の子は、身も心もボロボロになって一年後に帰国。
それ以来20年間、歌うことをやめた。
ギターも忘れた。
歌わなかった時代の事を今、話すつもりはない。
3年前、旧知の高田渡氏から、「どうだい歌ってみないかい?」。
歌える歓びとは裏腹に、私はあまりの緊張にステージで立ちすくんだ。
渡さんごめんなさい、あの時は…。
私はあらためて、その日からもう一度、歌うということを、その意味と自分自身を見つめ直し始めた。
70年代に活躍していたアーティストたちが、再び活動を始めている。
私にはそれだけの実績もましてヒット曲もないけれど、「もし歌う役目があるなら歌いたい」と思うようになった。
ギターは優しく正直につき合ってくれた。
言葉は現在(いま)の私自身を、社会を、人間を表現したいと騒ぎ始めた。
小さなライブハウスで30~40人の前で歌っている。
かつて何千人という観客の前で歌ったこともあったような気がするが、今もそして多分昔も、
私はいつもたった一人の人に向かって歌いかけているような気がする。
彼であり彼女であり、あなたへなんだ。その思いがある間は私は歌わせてもらえると思っている。
最近作った「あなたは焚き火に照らされて」という詩の最後に“失敗したところから、歌いだすから、
どうか焚き火のそばにいて”のフレーズ。
四半世紀という時間に感謝をして、今日もギターを抱きしめている。
佐藤公彦(ケメ)、丸山圭子を輩出した5人組フォーク“ピピ&コット”は、日本テレビ主催のコンテスト「歌のチャンピオン」で優勝し、デビュー。
メッセージ性の強いフォークグループの中にあって、きれいなメロディーとハーモニーに特徴のあるグループだった。
特によしだの声質が魅力である。
第2ブロック 13:30~15:00 2時半ぐらいに出演
愛称「浪花の歌う巨人」。大阪市西成区出身、在日韓国人2世。大学でロシア語を、大学院で教育学を専攻。元・関西大学、河合塾講師。ブルース・ジャズ・ロック・フォークは勿論のこと、朝鮮や韓国の古典民謡やニホンの浪曲、落語も得意で、年間のライヴ・公演数は百回以上にのぼる。「歌うキネマ」で一本の映画を独りの唄と語りで演じている。
不思議の国ニッポンに「反・非・否・不~」と対峙しながら、世界を股に旅している。著作『僕は在日関西人』(解放出版社)、『夢・葬送 / ソングブック』(みずのわ出版)、CD「趙博ベスト30」(Tamazo Label)、CDブック「音魂言霊」(みずのわ出版)など多数。ピアニスト・ハルマゲンとのコンビで全国を巡演している。
演目は「マルコムX」「風の丘を越えて」「砂の器」「パッチギ!」「キクとイサム」など。また、小説・映画・記録文学などを再構成してピアノ伴奏で語る「声体文藝館」作品に「青春の門・筑豊編」「泥の河」がある。公式サイト http://fanto.org/
福島県会津、喜多方市生まれ。9歳でフォーク・ギターをはじめ13歳よりオリジナルを書く。日本社会事業大学時代の自作「AGAIN AGAIN」がうたごえ新聞年間賞受賞。そのころよりサポートミュージシャンとしても活動開始(きたがわてつ、三浦昭悦、エドアルド・ゴンザレス、やまだじん等)。卒業後シンガー&ソングライターとしてプロ活動に。これまでの作品は250曲以上で折々にアルバムを発表。代表作 「ヒロシマの有る国で」は現在も学校教材として扱われている。アメリカン・フォークの父ピート・シーガーの自伝翻訳(矢澤寛氏監修)、エッセー連載(「住民と自治」)等もある。歌づくりは、ソーシャルワークの経験から目線の低いフォーキーなラブソングが多い。04年アルバム 『ふる里の樹』制作。アコースティック・ギターの弾き語りで全国にフォークソング・ポピュラーソング・オリジナルソングを手渡している。05・06・10年笠木透氏主催「憲法フォークジャンボリー」に出演。07年より上條恒彦氏のサポートギターを弾く。現在練馬区石神井在住。日本音楽著作権協会会員、日本音楽家ユニオン会員、音楽九条の会会員。
◆主な作品
1985年
・アルバム「ヒロシマの有る国で」制作
1987年
・アルバム「ラストランナー」制作 ♪紹介文:きたがわてつ氏、今井正弘氏
・ソロリサイタル(新宿モーツァルトサロン)開催
1989年
・NHKラジオ第1「絶滅のトキ特集」出演 自作の「ニッポニア・ニッポン トキよ 舞い上がれ」を歌う。
・リサイタル「愛するものへ」(杉並高円寺会館)開催
1991年
・絵本「こんちゃん・だいすき」に参加 オリジナル「こんちゃん」をプレゼントする
・NHKラジオ第1「アースディ特集週間」に出演。1週間自作の歌が流れる。
・アルバム「地球よ」制作
1992年
・アルバム「かけがえのないものへ」制作 ♪コメント:国松俊英氏、小室等氏
(ささやかで、シンプルなぼくのねがいの歌達です。森の中にたたずんで森林浴をしているような、そして、木かげの湧き水をすくって飲んだような・・・ そんな気持ちでつくりました。肩の力をぬいて自然に
潤ってくるものをたし かめながら・・・山本さとし)
・長崎を1週間1人旅し被爆者の谷口すみてる氏に会い「ナガサキのまなざし」を作る。その年長崎体育館で開かれた全国生協虹の広場にて披露 (ギター:洪栄龍氏)
1993年
・TBSニュース23にて、山本さとしコンサート 「鳥さんがんばれ!オジドリ分校の子どもたちと」取材
1996年
・アルバム「このゆびとまれ」 CD制作 (コ・プロデュース:山本さとし)
1999年
・NYハドソンクリアウォーターフェスティバルにて、ピートシーガー氏に会う
2000年
・CDシングル「夢のシナリオ」(ディレクター:大峰順二氏)
2003年
・自作『ヒロシマの有る国で』が、清泉女子大学(東京)地球市民学科の学科歌に
2004年
・CD「ふる里の樹」発表 (ディレクター:洪栄龍氏)
・地元練馬マーキーでの定期ライヴ「ラストランナー」が58回を迎える
2005年
・笠木透氏主催 憲法フォークジャンボリー出演
2006年
・笠木透氏主催 憲法フォークジャンボリー出演
・CDアルバム 「丸腰でいこうぜ」 ’06憲法FOLK・JAMBOREEライブ (笠木透と雑花塾、高石ともや、山本さとし、朴 保、佐渡山豊、・・・)
2007年
・上條恒彦氏のサポートギターを弾きはじめる。
2008年
・いろいろ
2009年
・やまだじん氏のサポートギターを弾く。
2010年
・ヒロシマ憲法フォークジャンボリーに出演 (出演:笠木透と雑花塾、中川五郎、よしだよしこ、趙博、山本さとし、他・・・多数の無告の民)
♪;ピート・シーガーの系譜を爽やかに 小室等 (フォーク・シンガー)
何年も前のことだが、原宿のにぎわいに場違いのように寄りそってたたずむ日本社会事業大学の文化祭に歌いにいったことがある。学生たちもまた、原宿には場違いのファッションで、キャンパスと呼ぶにはせまい学内で細々と文化祭を催していた。
ぼくは福祉の世界に伴う“善意”というものに、ときとしてうんざりさせられてしまう徒なのだが、コンサートのあとに話しこんだ学生たちを見るかぎり、原宿を歩いているにいちゃんねえちゃんたちより、きみらの方がずっといいぞと思ったものだった。
山本さとしさんは、その日本社会事業大学出身だという。山本さんの歌と、山本さんが大学で学ばれたこととは、どうやら無関係ではなさそうだ、と山本さんの歌を聴いていて思う。
それは“善意”のあぶなさを伴いかねないものだが、山本さんはそこをうまくしのいでいる。
アコースティックな音楽は、そのアンサンブルのありようによっては裸でさらされてしまい、ごまかしのきかないものになってしまう。
山本さんの今回のテープ作品は、まさしく裸でさらされている。ごまかしがきかない。ごまかしがきかないと、音楽よりメッセージだけが先行してしまいかねない。山本さんはそこのバランスをうまく保っている。ギターにヴェテランの洪栄龍を起用したのも功を奏している。
60年代にアメリカからフォーク・ソングというものが入ってきた。それがどんどん子別れしていって、その痕跡はいまやほとんど見えなくなってしまっているいま、山本さとしさんは、まぎれもなくピート・シーガーの系譜を受け継いでいくシンガーだ。
この時代に、この系譜を歩もうというのは相当にきついことである。山本さんはその道を爽やかに歩んでいる。
第1ブロック(12:00~13:20) 1時ごろ出演
ニューヨークに生まれる。
後にBarnard Collegeで学び、Manhattan school of Musicで学士号を、Juilliard Schoolで修士号を取得する。
クラシックのソリストとして世界各地で様々な指揮者と共演を果たし、名声を受ける。
それらは;Mahler's 4th symphony with Michael Tilson Thomas and the New World Symphony, Monteverdi with John Eliot Gardiner, Handel with Rheinhard Goebel at the Danish Royal Opera, Gluck at the Edinburgh Festival with the Mark Morris Dance Group, Schoenberg with the American String Quartet and Atlas with Meredith Monkがある。
ECM, Deutsche Grammaphone, Harmonia Mundi, Erato, Lyrichiord Labelsでレコーディングをした。
大変賞賛されているデビューソロアルバム「Once Canciones de Diego Luzuriaga」は前季にFertile Ground Musicよりリリースされた。
ここ数年、作曲そして様々なバックグラウンドのアーティストとの共演に力を注いでいる。最近の共演は、Guinean Griot, Sekouba Kandia Kouyate、ドラマーのAaron Scottである。
【現在の活動】
2003年4月洗足学園音楽大学のジャズボーカル設立に参加するために来日。
来日してから様々な場所で演奏し、今後はトロンボーンの向井滋春やトランペットの原朋直、そして彼らのすばらしいバンドと共演する機会がある。また今秋Dreamusicよりリリースの森山良子の初ジャズアルバムのボーカルディレクターも務めた。
最近のアメリカでの活動はSymphony SpaceやCarnegie Hallで開かれたNew York Festival of SongのMingus Big Bandでの演奏。
第3ブロック(15:15-16:50)の5番目、15時55分ぐらいに出演。
憲法フォークジャンボリーに沖縄から出演する人がいないのはどうなの?
この情勢で! それでほんまにええんかい?
ということになりまして、急遽、ジョニーさんにお願いしたら快諾していただきました。
ボクは、「ケセラセラ」(なんくるないさ)、「悲しき雨音」が好きだなあ。
ジョニー宜野湾って誰?という人は下記ホームページを。
憲法フォークジャンボリーinヒロシマ 次回はいつか
最近のコメント