福島県会津、喜多方市生まれ。9歳でフォーク・ギターをはじめ13歳よりオリジナルを書く。日本社会事業大学時代の自作「AGAIN AGAIN」がうたごえ新聞年間賞受賞。そのころよりサポートミュージシャンとしても活動開始(きたがわてつ、三浦昭悦、エドアルド・ゴンザレス、やまだじん等)。卒業後シンガー&ソングライターとしてプロ活動に。これまでの作品は250曲以上で折々にアルバムを発表。代表作 「ヒロシマの有る国で」は現在も学校教材として扱われている。アメリカン・フォークの父ピート・シーガーの自伝翻訳(矢澤寛氏監修)、エッセー連載(「住民と自治」)等もある。歌づくりは、ソーシャルワークの経験から目線の低いフォーキーなラブソングが多い。04年アルバム 『ふる里の樹』制作。アコースティック・ギターの弾き語りで全国にフォークソング・ポピュラーソング・オリジナルソングを手渡している。05・06・10年笠木透氏主催「憲法フォークジャンボリー」に出演。07年より上條恒彦氏のサポートギターを弾く。現在練馬区石神井在住。日本音楽著作権協会会員、日本音楽家ユニオン会員、音楽九条の会会員。
◆主な作品
1985年
・アルバム「ヒロシマの有る国で」制作
1987年
・アルバム「ラストランナー」制作 ♪紹介文:きたがわてつ氏、今井正弘氏
・ソロリサイタル(新宿モーツァルトサロン)開催
1989年
・NHKラジオ第1「絶滅のトキ特集」出演 自作の「ニッポニア・ニッポン トキよ 舞い上がれ」を歌う。
・リサイタル「愛するものへ」(杉並高円寺会館)開催
1991年
・絵本「こんちゃん・だいすき」に参加 オリジナル「こんちゃん」をプレゼントする
・NHKラジオ第1「アースディ特集週間」に出演。1週間自作の歌が流れる。
・アルバム「地球よ」制作
1992年
・アルバム「かけがえのないものへ」制作 ♪コメント:国松俊英氏、小室等氏
(ささやかで、シンプルなぼくのねがいの歌達です。森の中にたたずんで森林浴をしているような、そして、木かげの湧き水をすくって飲んだような・・・ そんな気持ちでつくりました。肩の力をぬいて自然に
潤ってくるものをたし かめながら・・・山本さとし)
・長崎を1週間1人旅し被爆者の谷口すみてる氏に会い「ナガサキのまなざし」を作る。その年長崎体育館で開かれた全国生協虹の広場にて披露 (ギター:洪栄龍氏)
1993年
・TBSニュース23にて、山本さとしコンサート 「鳥さんがんばれ!オジドリ分校の子どもたちと」取材
1996年
・アルバム「このゆびとまれ」 CD制作 (コ・プロデュース:山本さとし)
1999年
・NYハドソンクリアウォーターフェスティバルにて、ピートシーガー氏に会う
2000年
・CDシングル「夢のシナリオ」(ディレクター:大峰順二氏)
2003年
・自作『ヒロシマの有る国で』が、清泉女子大学(東京)地球市民学科の学科歌に
2004年
・CD「ふる里の樹」発表 (ディレクター:洪栄龍氏)
・地元練馬マーキーでの定期ライヴ「ラストランナー」が58回を迎える
2005年
・笠木透氏主催 憲法フォークジャンボリー出演
2006年
・笠木透氏主催 憲法フォークジャンボリー出演
・CDアルバム 「丸腰でいこうぜ」 ’06憲法FOLK・JAMBOREEライブ (笠木透と雑花塾、高石ともや、山本さとし、朴 保、佐渡山豊、・・・)
2007年
・上條恒彦氏のサポートギターを弾きはじめる。
2008年
・いろいろ
2009年
・やまだじん氏のサポートギターを弾く。
2010年
・ヒロシマ憲法フォークジャンボリーに出演 (出演:笠木透と雑花塾、中川五郎、よしだよしこ、趙博、山本さとし、他・・・多数の無告の民)
♪;ピート・シーガーの系譜を爽やかに 小室等 (フォーク・シンガー)
何年も前のことだが、原宿のにぎわいに場違いのように寄りそってたたずむ日本社会事業大学の文化祭に歌いにいったことがある。学生たちもまた、原宿には場違いのファッションで、キャンパスと呼ぶにはせまい学内で細々と文化祭を催していた。
ぼくは福祉の世界に伴う“善意”というものに、ときとしてうんざりさせられてしまう徒なのだが、コンサートのあとに話しこんだ学生たちを見るかぎり、原宿を歩いているにいちゃんねえちゃんたちより、きみらの方がずっといいぞと思ったものだった。
山本さとしさんは、その日本社会事業大学出身だという。山本さんの歌と、山本さんが大学で学ばれたこととは、どうやら無関係ではなさそうだ、と山本さんの歌を聴いていて思う。
それは“善意”のあぶなさを伴いかねないものだが、山本さんはそこをうまくしのいでいる。
アコースティックな音楽は、そのアンサンブルのありようによっては裸でさらされてしまい、ごまかしのきかないものになってしまう。
山本さんの今回のテープ作品は、まさしく裸でさらされている。ごまかしがきかない。ごまかしがきかないと、音楽よりメッセージだけが先行してしまいかねない。山本さんはそこのバランスをうまく保っている。ギターにヴェテランの洪栄龍を起用したのも功を奏している。
60年代にアメリカからフォーク・ソングというものが入ってきた。それがどんどん子別れしていって、その痕跡はいまやほとんど見えなくなってしまっているいま、山本さとしさんは、まぎれもなくピート・シーガーの系譜を受け継いでいくシンガーだ。
この時代に、この系譜を歩もうというのは相当にきついことである。山本さんはその道を爽やかに歩んでいる。
第1ブロック(12:00~13:20) 1時ごろ出演
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